ブログを「お手紙紹介」のようにしてしまっていますが…。
以前取材でお世話になった、「増毛山道の会」事務局の方からのメールです。札幌では、初雪の後、雪はもう解けましたが増毛の山中ではもう雪景色なのですね。
江戸時代、増毛〜浜益間にあった山道の復活を目指す「増毛山道の会」では、この山道を造った伊達林右衛門のご子孫や増毛の測量会社の社長さんが中心になり、山道復活を目指しています。測量のハイテク技術によってかつてのルートを探りあて、現在は、山歩きや草刈りといった地道な作業、復活後の活用方法の検討などを行っています。新会員募集中ですので、興味のある方はぜひホームページなどをご覧になってみてください。もちろん私も会員です♪
増毛山道の会(入会案内)
http://www.kosugi-sp.jp/sando/01.html
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増毛山道の関係者の皆様へ
11月1日(月)に、降雪前に山道の完成度を見る作業がありました。留萌振興局より3名と増毛山道の会より5名参加し、別苅入口より岩尾の終点まで16kmを通して歩きました。天候は曇りから小雨でした。時間は、朝の7時に別苅口を出発し、途中深いところで10cmの降雪がありましたが岩尾到着はちょうど午後3時でした。来年度の一般解放に向けての課題を検討しながら歩きました。看板や歩きにくい個所の整備、橋や階段の設置等もう少し手入れすべき個所をチェックしました。眺めは、暑寒別山塊の暑寒別岳から群別岳、浜益岳、雄冬山の山頂付近はすでに雪景色でした。葉もすっかり落ち、天狗岳の麓標高700mを通るル−トからは、裸の梢越に山の表情が右から左へと少し薄日の差す曇り空の下、変化していきます。右側は頭上に天狗岳の稜線が迫り、岩や笹緑の急斜面が春スキ−の滑降を誘います。
環状林道を越えた辺りより、山道に薄く積もった雪にクマの足跡が続きます。鹿、狐、クマそして我々の足形が出来て行きます。今朝早くの通過でしょうか。岩尾側に降りて行くと子ども連れの親子の足跡。子グマの足跡は紅葉の葉のようで、孫の手にも似て、とても愛らしかったです。これから親子で、来年まで穴の中で命を燃やし続けます。クマの手形を添付いたします。 クマについては、伐採している間は殆ど気配を感じませんでした。秋になり、冬のための捕食活動に入りだす頃から糞等をたまに見ました。入山は複数とベルや笛等の対策をして歩けば、先にクマの方から避けて行きます。道内の山にはどこでも棲息しますので、増毛山塊に限った事ではありません。
それともう一つお知らせいたします。添付ファイルにあります「降りてゆく生き方」上映について、増毛山道の会として協賛いたしましたが、報告が後になりましたことどうかお許しください。来年の2月20日に留萌で上映いたします。映画館で上映せず、地域に受皿が出来れば放映するシステムをとっています。「縄文期の生活に我々の暮らしを戻せ」。「今世紀中に地球温暖化により人類は滅亡する」。そのための小さな一歩を踏み出すきっかけになればと映画は言っています。武田鉄矢主演でアップテンポで進行し、ただ見ているだけでも面白いです。地元での地域起こしの中での出会いでした。
増毛山道の会事務局 拝
(ひろみ) |
先日、HO36号で掲載した雄冬についてブログを書いたところ、誌面にお写真を提供してくださった二村高史さんから、こんなメールと追加のお写真をお送りいただきました。
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(前略)
「ナンバーのない車が走っている」という話は、増毛のユースホステルで聞きました。そもそも雄冬に行こうと思い立ったのは、そこで「ぜひ行くといい」と勧められたからです。波浪注意報がでていたけれど、船は出航しました。沿岸を進むだけなんですが、通常の1.5倍ほど時間がかかったようです。途中の港に泊まった記憶はないので、直接雄冬に行ったのではないかと思います。その日の乗客は、同じユースホステルに泊まった北大生と地元のおばさんと3人だけでした。
雄冬に実際に行ってみると、車にもナンバーが付いていてがっかり(?)。でも、よく見ると、写真のようなナンバーなしの車もあったというわけです。ただ、走っているのを見たわけではなく、車自体もボロボロだったので、単なる廃車なのかもしれません。
民宿に1泊したのち、翌日船で増毛に戻ろうとしたら波が高くて欠航! 宿の人のアドバイスに従って、町外れから道路工事の資材を運ぶトラックに乗せてもらい、これまた増毛のはずれの大別苅というところまでたどり着きました。
----------------------------------- 二村 高史 (FUTAMURA takashi) http://www.dagashi.org/
なお、お写真に関しては「今回送ったなかには、建設中の国道の写真もあります。また、民宿の前での記念撮影で、一番右に写っている髪ボサボサで、いかにも70年代の学生風なのが当時の私です」とのことです。
ところで二村さんのホームページ「二邑亭駄菓子のよろず話」内のブログにある「スティーブ・ジョブズ『2005年スタンフォード大学卒業式祝辞』」には、本当に感動しました。回り道に見えても無駄なことなんてないのだ、と言えるのかもしれないし、ぼーっとしていたら無駄になりかねないことであっても、どこかで何かの形で生かしていけることは大切な能力なのだ、と言えるのかもしれませんよね。回り道したり、つまずいて転んでばかりの私ですが、めげずに今この時間を大切にしていこうと思います。
二村さん、本当にありがとうございました。
(ひろみ)
※写真提供:二村高史さん(1979年8月撮影)
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現在発売中のHO Vol.36のP.47で、黄金山のイチイ(石狩市浜益)の樹高を180mと間違って書いたのは私です。正しくは18m。大変申し訳ありませんでした。ご指摘くださった石狩市役所様、ありがとうございました。
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今回のHOで、私は「雄冬(オフユ)」のページを担当させていただきました。ここは個人的にも大好きな場所で、どうしようもなく落ち込んで元気になりたい時などによく訪れます。
このページを作るにあたっては、編集長から「昔の写真を入れたい。自分は、昔、新聞で国道開通以前の雄冬の写真を見たが、そこに写っていた車にはナンバーがなく『正式な道がないから、車の登録も不要で、ナンバーもついていなかった』という解説がついていた。ああいう写真を探してきなさい」という指令が出ていました。
最初にお電話をした増毛町役場の方は、どの部署の方もとても親切で、あちこち手を尽くして古写真を探してくださった上、貴重な雄冬海運のパンフレットやDVDと共に郵送してくださるなど、大変お世話になりました。(P72右下の小さな写真が増毛町役場ご提供の写真。増毛町の元陣屋・歴史資料館に展示されているようです)
それと並行して、ネット上でも雄冬の古写真を見つけ、撮影者の方にご連絡をしたところ、すぐに「ご協力しましょう」とお手持ちの写真をすべてお送りいただくことができました。これがP72の2枚の大きな写真です。この時の嬉しさといったらもう…。
なお、写真をご提供くださった東京の二村高史さんのホームページには、興味深い写真がたくさん掲載されています。私も東京・下町の出身で、ページ内の「東京 -昭和の風景-」にある写真には、まさに高校時代の通学路そのままの風景もたくさんあり、言葉にできないほどの懐かしさです。現在の様子と比べることのできる、とても素晴らしい作りになっているので、ぜひご覧になってみてください。
※二村高史さんのHP:二邑亭駄菓子のよろず話 http://www.dagashi.org/
このページに限らず、HOの誌面はいつもこんなふうに、直接お目にかかったこともないのに親身になって全力で協力してくださる多くの方々に支えられているのです。
さて。最初の編集長指令「国道開通以前の雄冬の、車の写真」についてです。二村さんのHPにある車の写真には、ナンバーが付いているような付いていないような? 微妙ですが、付いているように見えます。
今回、誌面にも登場してくださった雄冬の古老・金子さんによれば「村の人が車を持つようになったのは、国道開通の後。こっちのほうまで来るよその人はたいしていなかったから、最初のころは『まあバレないだろう』というずるい考えでほとんどみんな登録もせずにいたけれど(笑)、そのうちだんだん登録するようになってきた」とのことでした。
このほか、国道開通直後に雄冬まで行くには通行証が必要だった時期があったらしいという話が、とある場所から聞こえてきたこともあり、留萌開発局他に問い合わせましたが、結論としては、そのようなものはなかったようです。もしかしたら、国道開通以前に工事車両などに対して発行されたものだったのかもしれません。
何か知りたいことがある時、インターネットというのは本当に便利ですが、「あちこちに書かれてはいるけれど、元になるソースはおそらく1つに違いない」という事柄に出会うことがよくあります。その真偽を確認しようとすると壁に行きあたってしまい、ほとんどはそれ以上の確認ができないことばかりです。しっかりした根拠とともに記録に残すというのはとても大切なことだと改めて思います。
…というわけで、改めて、冒頭のような誤記は決してあってはならないわけであります。以後、心して自戒致します。
※誌面の都合で残念ながら載せることができなかった「雄冬海運のパンフレット」です。
(ひろみ) |
だいぶ前の話になりますが、現在発売中のHO36号「チャントヤサイタベテル?」の号の取材で、HBCラジオの中野トムさんとご一緒し東川へ行きました。外からの移住者が多いことで知られる東川。大雪山麓の豊かな自然の中、しっかりした価値観を持ちながら自然体で生きる人が数多く住む、魅力的な町です。
8月の台風では大きな被害を受けたと聞き、とても心配な気持ちでいました。そんな時にいただいたのが、誌面にも登場してくださったHALアウトドアツアーズのアリッサさんからのメールです。
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HOを送っていただきましてありがとうございました。
24日の雨で、あの忠別川もまだ泥水状態。私たちは22日で忠別川コースは終了しましたが、旭川コースは被災地あとみたいになっていて、ゴール地点には根こそぎ運ばれた大木がいくつも駐車場の上にまで残されています。それほど増水したのです! 緑がきれいだったコースも、川が増水したため、草がなくなって、周りの木も枯れ、いろいろなゴミがながれてそこら中にまきついています。今思えば、ゴミを拾った時にあったビニールやなんだかんだ、引っかかっていたものは、過去に増水した時に運ばれてきたものだったのでしょう。
これだけ増水したことは、過去にもあまりない、ということです。このゴミ拾いは私たちだけではどうにもなりません。開発局に相談しようかと思っています。でも今はどうしようもないので、ツアーは再開しました。あるイミ、すごいものを見られるといえばそうなんですが。。。
でもダムと河川の周りが整備されているおかげで、住宅地は水害はなかったので、幸いです。10月には、(これまた災害地ですが)忠別湖でカヌーツアーをする予定です。旭岳など紅葉がきれいなのですが、ダムの水がまだまだ茶色なので、10月までにクリアになることを祈るばかりです。
なんだか近況報告になってしまいましたが、いろいろありがとうございました。取材はおにぎり食べたり、トムさんともお話できて楽しかったです! 暑い毎日ですが、お体にお気をつけください。
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先日、その後の様子はどうかな?と思い、メールをお送りしたところ、いただいたお返事はこのようなものでした。あの台風からもう3週間がたつというのにまだ川の水が濁っているだなんて、自然というのは本当にすごいですね。
紅葉の季節ももう間もなく。山に囲まれた湖でカヌー… どんなにか美しいことでしょう。行ってみたいな、行ってみようかな、なんて考えています。
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先日はメールをいただきまして、ありがとうございます。まだ忠別川、ダメですね。濁っています。ダムに土石などたまってしまってるんでしょうね。ダムもまだ濁ったままです。
一昨日に、通行止めだった唯一のダムへの町道が開通になったので、カヌーのシゴトもできそうです! これは、今の忠別湖畔の写真です(後ろに旭岳が見えます)。紅葉の頃は、周りがキレイです。
<中略>
忠別湖には行けなかったので、かなやま湖でカヌーの写真を撮りましたので、コレも。
こんなかんじで、気持ちよいです。ぜひプライベートででも、来て下さい!!
HAL Outdoor Tours(ハルアウトドアツアーズ) http://www.halhokkaido.com contact@halhokkaido.com TEL:050-1459-8290
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かなやま湖でのカヌーの様子
現在の忠別湖
(ひろみ) |
会社には毎日たくさんの電話がかかってきます。 こっそり居留守を使いたくなるような電話も多々あるのですが(←たいていは自業自得)、心温まるお電話をいただくことも多く、そんな時には「この会社で仕事をしていてよかった」と改めて思います。
先日は、青森県の方からこんなお電話をいただきました。
「昨年北海道旅行をした時に、北海道大学のポプラ並木を訪ねた。その時の写真がとても印象深いものに撮れたので、ぜひ見てほしい」
そしてお送りいただいたのが、このメールとお写真です。
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こんばんは! 先日お電話いたしました、青森の齊藤といいます。 早速お言葉に甘えて写真をお送り致します。
私は青森で田舎ですが、北海道大学の敷地の大きさは、行ってみてわかりました。本当に広いんですね! 北海道の雄大さが、地元の方々のおおらかさが分かるような気がしました。
実は昨年、ポプラ並木を見学に行きました。並木の前にお知らせ版がありました。安全のため通路には入れないということでした。木が古くなり数本倒れて伐採されたとか・・・。
ポプラ並木も時間がたったのかと、時代を感じていたところに、はっきりわかりませんが、農学部の学生さんかと思われますが、青と赤の服を着て、リヤカーを引いて並木の中に入って行きました。あまりにも懐かしく何とも言えない風景に思わずシャッターを切りました。その1枚です。
家に帰ってから、大きく印刷し、部屋に飾っておいたところ、遊びに来る方も「こんな写真がよくとれたねー」と言って印刷していきます。
みんなが、昔の時代をおもっているのか…と感じました。レトロの感じが・・・。
今年の8月17日にも、東京から来た方が、ぜひほしいと言って印刷して持って行きました。
北海道の人はいつも見慣れているかもしれませんが、私は本当に懐かしく、見ていても飽きない1枚です。
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ポプラ並木がまるでタイムトンネルのような、懐かしくやわらかな色合いのこの写真。ゴロゴロと響く車輪の音や枝を揺らす風の音が聞こえてきそうで、いつまでも眺めていたくなるように感じます。
ところで、齊藤さんはこのメールと一緒に、青森県田舎舘(いなかだて)村の「田んぼアート」の写真も送ってくださいました。それがこれです。
今年の8月17日に見学なさったときに撮影されたものだそうです。
偶然なのですが、実は、現在発売中のHO「チャントヤサイタベテル?」P74でも、旭川の田んぼアートを紹介しているのですが、もうご覧いただけたでしょうか?
齊藤さんの写真と、この写真を何度も見比べて「この2つの違いは、歴史と伝統ある本州のアートと、型にはまらず若々しい北海道のアートとの違いなのかな?」と、とても興味深く感じました。
この夏はただならぬ暑さで、外で仕事をされる方の苦労は察するにあまりあります。しかももう9月の声を聞くと言うのに、この暑さはいっこうに収まりそうにありません。青森の畑も、旭川の畑も、今はどんな色を見せてくれているのでしょう。まもなく迎える実りの時期。農業に携わる皆さんのご苦労と思いが実る、豊かな季節となりますように。
青森の齊藤さん、ありがとうございました。
(ひろみ) |